「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」

 (新改訳:マタイの福音書11章28節)

「神に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ」

 (新改訳:ダニエル書10章19節)

 

上記のふたつの御言葉は、私が家で使っています「日めくりカレンダー」に記されている御言葉です。2年に亘るコロナ禍の中で、さまざまな問題に直面し、心身ともに深い疲れを覚える中、このふたつの御言葉には、本当に癒され励まされます。

 

このマタイの福音書の箇所を読みますと、いつも星野富弘さんのことが思い浮かびます。体育教師であった星野さんは、クラブ活動の指導中に誤って頭からマットに落ち手足の自由を失い、失意のどん底でこの御言葉と出会います。

 

そのことを「愛、深き淵より」という著書の中で、星野さんは次にように書いておられます。「私は自分がどこに向かっていくのか、なにに向かっていけばよいのかわからなかった。・・そんな私の耳もとに時々、風のようにささやいていく言葉があった。『労する者、重荷を負う者、我に来たれ』それは郷里の家の裏の墓地に立っていた白い十字架に書かれてあった言葉だった。

 

 不思議なほど覚えていたその言葉を、おそるおそる開いた聖書の中にみつけたとき、私がまだ健康でなにも知らないで飛び回っていた頃からすでに、私にこの言葉を与えてくれていた、神様のこころを知ったような気がした。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。・・』この神の言葉にしたがってみたいと思った。クリスチャンといえる資格は何も持っていない私だけれど、『来い』というこの人の近くにいきたいと思った」と書かれていました。

 

星野さんはその失意のどん底で、この御言葉と出会いそれからの人生をこの御言葉に従っていく決心をされたのです。そこから星野さんの歩みは大きく変えられていきました。神様はまず突然の事故で失意のどん底にあった星野さんの疲れきった心を癒してくださり、生きる希望を与えてくださいました。

 

そして神様は、星野さんに口で筆をくわえて詩と絵を描く賜物を与えてくださり、多くの人々に生きる勇気と希望を与える神の器として、今も星野さんを用い続けてくださっています。このことを通して神様はどんなに苦しいと思える時も、私たちを見守り助けてくださるお方であることを私たちに示してくださっているのではないでしょうか。

 

次のダニエル書の御言葉からは、どんな時も私たちを励まして続けてくださっている神様からのメッセージを受け取ることが出来ます。ダニエルという人物のことを聞いて、まず思い浮かぶのが、王の家来たちの陰謀によって、獅子の穴の中に落とし入れられたにもかかわらず、その信仰によって無傷で生還したことです。この事実を知った当時のダリヨス王からダニエルは一層の信頼を受け、神の器として力強い働きをしていきます。

 

知恵と力に優れていたダニエルの素晴らしさは、決してそのことを誇るのではなく、神様の前にいつも徹底して謙遜に歩み続けたことでした。神様もそのようなダニエルを深く愛され、多くの試練から彼を守られ、神様の大切な器として尊く用いられました。

 

上記の御言葉は、ダニエルが70年間に亘って神に仕えて得た信仰告白です。「神に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ」とは、何と励ましに満ちた言葉ではないでしょうか。眼の前にどんな苦難や患難があったとしても、「神様はあなたを愛しておられ、あなたを守ってくださっているので、安心しなさい、そして、強くありなさい」と私たちひとりひとりを励ましてくださっているのです。

 

100年に一度と言われるコロナ禍の中で、私たちの日々の生活は困難な状況に置かれています。ともすると私たちは、そこからもたらされるストレスやプレッシャーに押しつぶされそうになります。上記の御言葉は、そのような私たちを癒し励ましてくれる御言葉ではないでしょうか。このふたつの御言葉をしっかりと手に持って、この困難な状況を乗り切っていきましょう。