「よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」

(マタイによる福音書18章18節)

 

だいぶコロナの影響が収まり、通常の生活に戻りつつあることは喜ばしいことです。このような動きに伴って、各種のイベントも再開されつつあります。私が日頃から関心を寄せているスポーツ行事も通常に戻りつつあります。

 

今回のブログのテーマは、「つなぐ」にしました。それは、先日2年ぶりに行われた大学の「出雲駅伝大会」のシーンをテレビで観ていて、改めてタスキをつなぐことの大切さを思い返されたからです。私も中学・高校・大学と長年に亘って駅伝選手として、数々の大会に出場してきました。その都度、知らされてきたことはタスキをつなぐことの大切さと難しさでした。

 

選手にとって、いくら練習を積み重ねてきているとはいえ、調子がいい時と悪い時があります。とくに体調の問題は、走って見なければ分からない時もあります。突然のアクシデントに見舞われる時もあります。タスキをつなぐことが難しくなるというような場面に遭遇することもあります。しかし駅伝という種目は、どんな状況に出合ったとしても、タスキをつながなければ成立しない競技です。

 

私も駅伝競技に出場してきた中で、一度だけ途中棄権しようと思ったことがありました。その日は、走る前は体調も良く走り始めても好調で、前を走る選手を次々に追い抜き、このままいけばトップに躍り出れるのではないかという勢いでした。ところがスピードに乗って坂を下りきったところで、突然横腹が痛みだし、激痛に見舞われたのです。何とか痛みを和らげようと、走りながらお腹をもんだりさすったりしましたが、痛みは一向に治まりませんでした。そして、そうこうするうちにとうとう足が前に出なくなってしまいました。

 

始めの勢いは影をひそめ、後続の選手に次から次へと追い抜かれ、前に進むことすら難しくなってきました。自分に対する情けなさから、涙が溢れてきました。(悔しさで泣きながら走ったのは、この時だけでした)走ると痛みが出てきますので、少し歩いてはまた走るという具合に痛みを抑えようと試みてみましたが、一向に痛みは治まりませんでした。

 

この時、何度も走るのをやめてしまおうという思いが自分の中に湧いてきました。これだけの痛みを抱えているのだから、やめても誰からも文句は言われないだろうという思いが心の中で交差しました。しかし、私の中でやめてしまうという決心は出てきませんでした。それはここでやめてしまうのは格好が悪いからというような表面的なことではなく、これまで培われてきた経験の中で、他者からタスキを渡され、それを受け取ったからには、次につなげなければならないという使命感みたいなものがあったからです。

 

この時の辛く苦しかった体験は、その後の私の歩みの原点のひとつになりました。聖書に書かれています「タラントの譬え」のように、人はそれぞれに生きる役割を与えられて、この世に生まれてくるのではないでしょうか。これまでの歩みを通して、私の人生の役割は「つなぎ役」だということを知らされるようになりました。

 

50年前にイエス様と出会うまでの人生は、スポーツという舞台を通して、ある時は後輩としてまたある時は先輩として、全力でそれぞれの種目に打ち込むことで、スポーツの素晴らしさを伝えてきました。イエス様と出会ってからは、私の人生を180度変えてくださった、何物にもかえ難いイエス様の素晴らしい福音を、ひとりでも多くの方に伝えるための歩みに変えられました。

 

今でも私の人生の基となったスポーツは大好きです。駆け引きなしで、力と力がぶつかり合うスポーツの醍醐味は何ものにもかえ難いものがあります。しかし、それ以上に人生を根本から造りかえることが出来るイエス様の福音の力は圧倒的であり、その恵みを伝えずにはおれないのです。この魅力を地上に生かされている限りにおいて、次代につなげていくことが出来れば最高に幸せだと思っています。

 

 最後に、私の大好きな星野富弘さんの詩を紹介したいと思います。

 

道端の 花のように ひっそりと 

だれかの 役にたてたら いいな  

神様だけが知っているんだ