「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」        (ルカによる福音書16章10節)

「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか」  (ヨハネ第一の手紙3章18節)

 

前2回の恩師に関する記事では、教師を志すに至った時の出会いについて、次に教師として歩み始めた時の出会いについて書きました。今回は、50年に及ぶ信仰の歩みの上で、最も影響を受けた恩師との出会いについて書いてみたいと思います。

 

50年間の信仰生活を通して、尊敬すべき多くの信仰の先達と出会ってきました。そのような中で、何と言っても一番の恩師は、私を信仰の道に導いてくださった故馬場哲雄兄弟です。兄弟は65歳という、まだこれからという時に天に召されました。兄弟から一番の影響を受けた要因は、3回にわたって兄弟と同じアパートに住み、生活を通してその信仰を学んだことです。

 

イエス様の弟子たちが、イエス様と寝食をともにする中で、生きたお手本として、その信仰の在り方を学んできたように、私も兄弟と生活をともにする中で信仰の在り方を学んできました。どんなに素晴らしいことが語られたとしても、その生活の在り方が、言っていることと行っていることがまるで違っていては、何の影響も受けません。弟子たちがイエス様から大きな影響を受けたのと同じように、私が兄弟から影響を受けた要因もそこにありました。

 

次にご紹介する本の内容は、兄弟が生前説教されたものを集めて、「喜びが満ちあふれるために」(いのちのことば社)というタイトルで出版された本の中から一部引用したものです。「一年生を対象に軽井沢でセミナーが行われます。・・・私は三浦さんの自伝でもある『道ありき』を使用してセミナーを行っていました。三十人位の受講生がいました。全員が非常に感動して本を読みました。・・・そして皆でお礼の寄せ書きを三浦さんに書きました。一週間も経たないうちに、小包が来ました。何と三浦綾子さんからでした。『先生の主にある尊いお働きを感謝します。これからも良き働きがありますように祈ります。学生さんお一人お一人のためには文が書けませんので、せめて心を込めてサインしますので学生さんにどうぞお渡し下さい』とあり、三十冊ばかりの本にサインがしてありました。体が弱く、またお忙しいのに、何と誠実な方であろうと感銘を受けると同時に、三浦さんが小説を通してイエス様を証しされているように、私は教育を通してイエス様を証ししようと思ったものでした」(P92~93)

 

 上記の文章の内容は、作家三浦綾子さんのお人柄を偲ばせるものですが、これはまた馬場兄弟の人柄そのものでもありました。兄弟との長い親交を通して、知らされてきた第一のことは、兄弟の誠実さでした。どんなことでも約束されたことは、全力で果たされる方でした。「なになにのために祈っていますよ」と言われた時は、口先だけのリップサービスではなく、本当に朝早く起きて祈っておられる姿を、傍にいて何度も見てきました。そして、そのことを決して誇ろうとはされませんでした。ただ、だまって黙々と実行される方でした。そこに兄弟の大きな魅力があり、主がいつもその姿を見ておられ、兄弟を主のご用のために用いてこられたのだと思います。

 

 兄弟は5年間にわたって、大学教授という要職に在りながら、北九州にある企救エクレシアという伝道所に、週末に飛行機で往復して、毎週説教と教会形成のご用をされました。このようなことは、誠実な人柄と主にある愛がなければ決して成し得ないことだと思います。兄弟はこの困難なご用を、ひと言の弱音も吐かず、また愚痴をこぼすこともなく淡々と果たされました。

 

 ある時、企救エクレシアの方が兄弟のことを、ひとつのエピソードを交えて、次のように語ってくださったことがありました。「ある日、私が体の具合が悪いということを聞いて、馬場先生がすぐに祈りに来てくださいました。伝道所から14・5キロほどの距離もあり、交通も不便なところに住んでいましたので、 今日はどうやって来られたのですか?と尋ねたところ、何と平然とした顔をして『はい、歩いてきました』と答えられました。自分のところに来るまでには、暗い山道を越えて来なければならないのに、歩いて来られたことを聞いて、本当に頭が下がる思いで、その誠実さに心を打たれました」と。(このようなことが、その後も数回続いたそうです)

 

 先月、企救エクレシアでは召天者メモリアル礼拝がささげられたということです。その場で出席者全員の方が、異口同音に馬場兄弟にお世話になったことの感謝を話されていたということです。兄弟が天に召されて7年になりますが、多くの方が今も兄弟のことを深く心の中に刻み、感謝の思いを持ち続けておられることに改めて兄弟に対する尊敬の念を抱くとともに深い感動を覚えました