アドナイ・エレ

「アドナイ・エレ」(主の山に備えあり) 創世記22章14節 この言葉は、アブラハムがその子イサクを神の言に従って、モリヤの山に行きささげようとした時に、み使いが現れてイサクの代わりに一頭の雄羊が備えられていることを告げられ、それを燔祭としてささげた所の名として付けられたものです。 65歳で突然天に召された敬愛してやまない故馬場哲雄兄が、この言葉にメロデーを付けられた賛美が「アドナイ・エレ」という曲です。「主にすべてささげて歩む、主にすべてをゆだねて歩む、そのときすべてが備えられる。アドナイ・エレ、アドナイ・エレ」という賛美です。 わたしは、いつもこの賛美を主にささげ、「アドナイ・エレ」の信仰をもって歩み続けていきたいと祈り願っています。

2021年08月

「わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」

(テモテへの第二の手紙4章6~8節)

 

「追悼」とは、故人の生前の姿をたどりながら、その死を悼むということです。先週の土曜日(8/21)に大切な信仰の友を天に送りました。突然の出来事に、今は心にぽっかりと穴が空いたような想いです。この兄弟との出会いと歩みは深く私の心に残るものでした。

 

兄弟と30年ぶりに再会したのは、8年前に新会堂の建築に入った時でした。

当時、旧会堂をすべて解体して更地にし、仮会堂で礼拝を守っていました。兄弟は、名古屋から東京に上京の折り、その仮会堂を捜して来会されました。30年ぶりにお会いしましたので、初めは誰だかよく分かりませんでした。

 

 しかし、話をするうちにだんだんと記憶がよみがえり、30年ぶりの兄弟との再会を実感できるようになりました。兄弟も再会した兄姉との交わりを心から楽しみ喜んでおられる様子でした。兄弟はその後、名古屋から転居して来られ教会の近くに住むことになりました。

 

 兄弟の30年間の歩みは、まさに「山あり谷あり」の人生だったようで、高校を卒業して、北海道から東京に出てこられた時の原点に戻って、一から出直す覚悟で、東京での新しい生活を始められました。仮会堂での礼拝にも毎週欠かさず出席され、信仰の歩みにおいても新しいスタートを切られました。

 

 まだ洗礼は受けられていませんでしたが、30年前にすでにイエス様を信じる決心をされていましたので、次第に洗礼への思いが深められ、新会堂での初めての礼拝となった2014年6月15日の「竣工記念礼拝」において洗礼を受けられ、クリスチャンとしての新しい歩みを始められました。(新会堂での洗礼者として、記念すべき第1号となられました)

 

 新会堂の1年目は、無牧(牧師がいない状態)でしたので、兄弟に教会宿直と警備をお願いしました。長年、名古屋で警備員として働いておられましたので、安心して宿直と警備をお任せすることができました。私もその間、教会の留守番役として週日教会管理に携わりましたので、兄弟と一緒にお昼ご飯を食べながら、信仰の話やお互いの身のうえ話に花を咲かせて、主にある交わりを深めていきました。そのような日々の交わりを通して、兄弟は私にとって、かけがえのない信仰の友となっていきました。

 

 兄弟は北海道から上京されて、電気機械関係の専門学校に通われていた経験があり、その分野の知識が豊富でしたので、新会堂における視聴覚関係の設定等に積極的に関わってくださいました。その後も教会の視聴覚の奉仕において、無くてはならない存在として活躍してくださいました。

 

 また兄弟はアニメ動画を通して、多くの人にイエス様のことを伝えたいという願いを持っておられました。そこで兄弟が考えられたのが、深沢教会のホームページに掲載されています「初音ミク」というコンピューターの音声合成システムを使って音声動画を作成して、福音を伝えることでした。

 

 兄弟が作成した動画は、ざっと数えただけでも200曲を超えます。また「初音ミク」へのアクセス数は1万4千件を超え、その関心の深さを伺い知ることができます。この動画の最後の方には、兄弟が今まで歩んできた短い証が書かれています。どれも深く胸を打つ内容です。このブログを読まれた方には、是非、兄弟が遺した作品に触れていただきたいと願っています。

 

 最後に、愛するお父さんの遺体を前にして、娘さんが兄弟に送った言葉を紹介して追悼の言葉を閉じたいと思います。「お父さん、今までいつも私を優しく見守ってくれてありがとう。経済的には決して裕福だとは言えなかったけれど、安くて美味しい物や珍しい物を食べに連れて行ってくれた時は本当に楽しかった。私が就職して挫折し、一番苦しかった時には、長野の家まで私を訪ねて来てくれて本当にありがとう。東京に出てきて5年間、お父さんと一緒に過ごせたことは、私にとって最高に幸せな時間でした。今までご苦労様でした。あとはゆっくり休んでね。」

 

 上記の娘さんの言葉に、兄弟が今まで生きてきた証が凝縮されているように思いました。名古屋から東京に出てきた時には、もう二度と会うことはないと思っていた最愛の娘さんと、人生の最後の5年間をともに過ごせたことは神様からの最高のプレゼントだったと思います。「娘さんとの5年間、本当に幸せだったね。私も君と8年間一緒に過ごせて楽しかったよ。ありがとう。」と霊安室で娘さんとともに兄弟に最後の言葉をかけさせていただきました。 <平安>

「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ、あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない。おののいてはならない」             (ヨシュア記1章9節)

 

8月15日(日)のNHKのサンデースポーツの中で、司会者が今回のオリンピックを取材したひとりのタレントに、「一番印象に残った試合は何ですか」と尋ねていました。数ある試合の中で、そのタレントが出した答えは、今回初めて中国を破って金メダルを獲得した卓球の混合ダブルスの試合をあげていました。それも決勝戦ではなく、準々決勝の試合をあげていました。

 

準々決勝の相手はドイツでしたが、その試合はまさに死闘といえるものでした。ゲームカウント3対3までもつれ込み、最終セットも7回も相手にマッチポイントを握られながら、耐えに耐えて最後に相手の弱点を突いて奇跡的に勝利したのでした。試合を観ていたそのタレントも試合が終わって「こんな試合は初めて見ました。凄い試合でした」と感激と興奮が入り交じったような状態で涙を流しながら語っていました。それほど凄い試合だったのです。

 

試合が終わって、ふたりの選手がインタビューに応えていましたが、いつもだと女子選手の方が男子選手を引っ張ってきたということでしたが、この試合では何度も「もうだめだ」と思う状況に追い込まれながら、その度に男子選手に「まだやれる。まだ、まだ」とかたわらで励まされ、自分もそのような思いになったということでした。

 

さらに続けて、この女子選手は「試合に勝てたのは、ペアを組んだ男子選手の決して最後まで試合をあきらめない思いが、自分にも伝わったからです」と応えていました。この試合を奇跡とも思える力で勝ちあがった日本のペアは、その勢いのまま決勝まで勝ち進み、見事に中国ペアを破って、日本のオリンピックの卓球競技史上初めてとなる金メダルを獲得したのでした。

 

今回のオリンピックを最後に引退する男子選手は「この試合を観ていた人に最後まであきらめないという思いが伝えられたら嬉しいです」と話していましたが、この試合を近くで観ていたタレントが流した感動の涙を通して、この選手の思いが確実に伝わったように思いました。

 

 最高の一戦として取り上げられたこの試合を改めて観て、スポーツという分野にとどまらず私たちの生き方にも繋がっているように思えました。それは人生という試合が終わるまで、どんな苦しい状況に置かれたとしても、決してあきらめてはならないということです。

 

 私たちの人生は「山あり谷あり、まさかの坂あり」の人生です。順境の時もあれば逆境の時もあります。生涯、順風満帆だったと言えるような人生はほとんどないのが現実ではないでしょうか。しかし、そのような中にあって、男子選手が女子選手のかたわらにあって「まだやれる。まだ、まだ」と励まし続けたように、いつどんな時も私たちと共にいて励まし続けてくださっている方がおられます。

 

 その方の名前は、イエス・キリストです。聖書の中に「『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である」(マタイ1:23)と記されていますように、イエス様の名はインマヌエルと呼ばれ、その意味は「神われらと共にいます」と記されています。

 

 人生という死闘を私たちが戦い抜いていくためには、いつも私たちのかたわらにいて「まだやれる。まだ、まだ」と励まし続けてくださる存在が必要なのではないでしょうか。

 

今、私たちはコロナ禍の中にあって、なかなか先が見えず苦しい日々を送っています。イエス様はこのような状況の中にあって、私たちと共にいてくださり「まだやれる。まだ、まだ」と私たちに声をかけ、励まし続けてくださっているのです。

 

 「あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」(ヨシュア1:9)という上記の御言葉をしっかりと手にもって、人生という試合をあきらめないで戦い続けて行けるよう祈り願っています。

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」

(ピリピ人への手紙4章4~6節)

 

約2週間に亘って行われましたオリンピックが、さまざまなドラマを生んで8月8日に閉幕しました。閉会式の様子をテレビで観ていましたが、開会式の時の緊張した面持ちとは違って、オリンピックの緊張から解放された世界各国の選手たちの笑顔が印象的でした。この光景を観ていて、人間にとって一番美しい姿はやはり笑顔だなと改めて思いました。

 

しかし、その笑顔の裏には選手たちの壮絶な戦いがあったことも事実です。8月9日に放送されたNHKのドキュメント番組「選手たちの知られざる戦い」を観てそのように思いました。番組の中で何人かの選手が紹介されていましたが、その中で今回のオリンピックの水泳競技で、女子選手として史上初めて2冠に輝いたO選手のことが深く心に残りました。

 

この選手は中学高校時代はまったくの無名選手で、大学に入ってからも極度の貧血に悩まされ十分なトレーニングが出来ず、日本選手権の予選で中学生にも敗れて、参加選手中(47名)最下位となり競技者としてどん底を味わいました。そこからまず自分の体質改善に真剣に取り組み、ベテランのコーチのアドバイスに耳を傾け、厳しいトレーニングを積み重ね、めきめきと頭角を現し、今回のオリンピックのメダル候補にあげられるまでになりました。

 

しかしオリンピックが近づくにつれ、メダルに対する重圧を感じるようになりスランプに陥ります。自分の弱さが出て、調子が上がらないので2種目に出場予定であったのを1種目に絞りたいという旨をコーチに相談に行きます。コーチから返ってきた答えは、「それなら、オリンピック出場自体を辞退することも考えた方がいい」という思いもかけない言葉でした。

 

その言葉の裏には、数々のオリンピック選手を育て上げてきたコーチにとって「オリンピックは、そんな中途半端な気持ちでは絶対に勝てない」という強い信念があったからでした。この言葉を聞いてこの選手は、気持ちの迷いが吹っ切れ、メダルのことは考えずにとにかく自分が納得するレースをしようという思いになり、今まで一度もやったことがなかったほどの厳しいトレーニングに一心不乱に打ち込みます。

 

オリンピック本番のレースに向かうにあたって、その選手は「自分はメダルを取りに行くのではなく、今まで取り組んできたトレーニングの成果を確かめに行くのだ」と自分に言い聞かせて試合に臨みました。そして、その結果が金メダル2個という偉業につながったのでした。

 

番組でのこの選手の最後の言葉が印象的でした。「わたしは、単にメダルが取れたことが嬉しいのではなく、自分がこれまで悩み苦しみ取り組んできたことが間違いではなかった、ということを証明できたことが嬉しいのです」と語っていました。その満面の笑顔の裏に、まさに自分が歩んできた競技人生そのものが間違いではなかったという喜びが溢れていました。

 

この選手のこのような心の変遷に触れた時、上記の御言葉が浮かんできました。このピリピ人への手紙は、パウロ書簡のひとつで、別名「喜びの書簡」と言われています。わずか4章の中に「喜び」という言葉が16回も出てきます。また「喜び」という言葉とともに「福音」という言葉が9回も出てきます。

 

ここでパウロが伝えたかったのは、福音にあずかることができた喜びでした。

福音とはイエス・キリストの十字架による救いと復活を指します。パウロは自らのことを「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ7:24)と告白していますように、イエス様と出会った時に、自らの罪を深く知らされ、「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」と言うほどにどん底に落ちたのです。

 

 しかしパウロは「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」(ローマ5:20)と告白していますように、イエス様の十字架によって自らの罪を深く示されたパウロが、イエス様の復活の恵みにあずかることによって、大きな喜びを得たのです。それはまさにどん底からの復活でした。

 

 愛なる神様は、決して私たちをどん底の状態のままには放っておかれません。その場から逃げずに真摯に自分と向き合い、そこから這い上がろうとする時、必ず私たちを引き上げてくださり、勝利の道へと導いてくださるのです。

「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない」

(マタイによる福音書20章26・27節)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」      (テサロニケ人への第一の手紙5章16~18節)

 

 コロナ禍の中で行われていますオリンピック競技において、連日さまざまなドラマが生まれています。私もスポーツに関わってきましたので、選手たちの悲喜交々とした場面を見るたびに、それぞれの選手たちの思いがひしひしと伝わってきて、時として胸が締め付けられるような感覚を覚えながら、テレビの前でエールを送り続けています。

 

 そのような中で、国を越え、競技種目の違いを超えて共通に観られる光景があります。それは戦った相手に対する称賛(リスペクト)です。どの競技においても戦いが終わると勝敗に関係なく、互いに抱き合ったり、相手の手を持ち上げたりして、お互いを称え合っている姿です。選手たちのそのような姿を見ているだけで、心が洗われるような思いになり、「よく頑張った。ありがとう!」という思いが自然と心の底から湧いてきます。

 

 オリンピックは選手たちにとって夢の舞台です。4年間、このことのために生活のすべての照準をこの一瞬に合わせてきます。そのような夢舞台で思いもよらないようなアクシデントやトラブルに巻き込まれたとしたら、悔いても悔やみきれないのではないでしょうか。

 

 私はかつて陸上競技の中長距離の選手でした。その中で、800メートルと1500メートルは、陸上競技の格闘技と言われるほど激しい種目で、お互いに肘をぶつけ合ったりして、自分が走りやすいようにコース取りをしていきます。私も一度スパイクで足を踏まれ、血まみれでゴールしたことがありました。そのことでしばらく練習ができなくなり、満足した結果が残せず悔しい思いをしたことが今でも思い起こされます。

 

 今回このふたつの種目において、信じられないような光景を眼にしました。ひとつは男子800メートルの予選においてでした。トラックの最後の直線に入る前に優勝も狙えるほどの選手が、前を走っていた選手と足が絡み、ふたりとも転倒してしまったのです。その様子を固唾を飲んで見守っていましたところ、ふたりとも起き上がって、何とふたり仲良く肩を組んでゴールしたのです。その光景は、金メダルを取るよりも美しいものでした。

 

 ふたつ目は女子1500メートル予選での出来事でした。今回のオリンピックで1500メートル、5000メートル、10000メートルの中長距離種目で3冠を目指すオランダの選手が、最後の一周にさしかかった時、前の選手と足が絡んで転倒してしまったのです。これで3冠の夢は早くも断たれたかと思った瞬間、その選手は、すぐに立ち上がって最後尾から前を走る選手をすべて抜き去って、トップでゴールインしたのです。

 

 足が絡まって相手を倒してしまった別の選手にとっても、その選手がトップでゴールインしたことは無言の励ましになったのではないかと思いました。その素晴らしいスポーツマン精神は、その夜に行われた5000メートルの決勝に表われました。何と午前中のアクシデントを見事に乗り越えて、トップでゴールインし、ひとつ目の金メダルを手にしたのでした。

 

 他者に対する称賛(リスペクト)とともに、もうひとつ私が感動したのは、インタビューに応えている選手たちの姿でした。勝利を得た選手も負けて悔し涙を流す選手も異口同音にここまで自分を導いてくれたコーチや家族や関係者の方々への感謝をまず口にしていました。とくにコロナ禍の中でオリンピックの開催を認めてくれた国民への感謝の言葉は、今まで一度も聞いたことがない光景でした。

 

 また海外の選手たちがまず感謝の言葉を口にしたのは、大会ボランティアの方々に対してでした。ほとんどの選手たちが「日本のことが、より大好きになりました」と応えている姿に深い感銘を受けました。オリンピックの舞台裏で活躍されているボランティアの方々の働きは、私たちにはあまり見えてきませんが、選手の近くでサポートしておられる尊い働きが、このような海外の選手の感謝の言葉から伺い知らされ、私も感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 人間の思惑や策略で動かされている現実生活の中で、オリンピックという夢舞台に立って、世界中から集められた選手たちが表現してくれた称賛と感謝に満ちた姿に心から拍手を送るとともに、改めてスポーツの持つ素晴らしさを味合うことができた一週間となりました。

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