アドナイ・エレ

「アドナイ・エレ」(主の山に備えあり) 創世記22章14節 この言葉は、アブラハムがその子イサクを神の言に従って、モリヤの山に行きささげようとした時に、み使いが現れてイサクの代わりに一頭の雄羊が備えられていることを告げられ、それを燔祭としてささげた所の名として付けられたものです。 65歳で突然天に召された敬愛してやまない故馬場哲雄兄が、この言葉にメロデーを付けられた賛美が「アドナイ・エレ」という曲です。「主にすべてささげて歩む、主にすべてをゆだねて歩む、そのときすべてが備えられる。アドナイ・エレ、アドナイ・エレ」という賛美です。 わたしは、いつもこの賛美を主にささげ、「アドナイ・エレ」の信仰をもって歩み続けていきたいと祈り願っています。

2021年03月

 

「あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中か

らよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたの

である」              (コロサイ人への手紙2章12節)

 

来週は、コロナ禍の中でのイースターを迎えます。私が所属しています深沢教会では、この記念すべき良き日に、ひとりの兄弟がバプテスマ(洗礼)の恵みにあずかられます。このことは、ご本人にとって大きな喜びの日であるとともに、教会にとっても最高の祝福の時でもあります。それは、先にバプテスマの恵みにあずかった私たち教会員も、ともに主の祝福にあずかることができるからです。

 

 今週の礼拝のあと、ある兄弟とお話をしていた時に、その方が興味深いことを話してくださいました。「私はクリスチャンという存在は、一面イエス様の十字架の死に涙できる人だと思うんです」と。私は何気なく話された兄弟のその言葉を聞いて、思わず、心の中で「アーメン(その通りです)」と言わずにはおれませんでした。

 

 今週の金曜日(4月2日)は、イエス様の受難日です。私たちのすべての罪を背負ってイエス様が十字架にかかられた日です。この刑に処せられた人は、どんな人であっても気が狂ってしまうとまで言われた十字架刑という極刑の苦しみの中で、イエス様は、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」(ルカ23:34)と、私たちを愛し赦してくださいました。長い人類の歴史の中で、この言葉を言い得た方は、イエス様おひとりだけです。

 

 以前、ブログ「塩狩峠」の中に書きましたが、私がこの十字架上でのイエス様の言葉に深く心打たれたのは、50年前の伝道集会で、ある年若い牧師が眼に涙をいっぱいに浮かべて、このことを語っておられたのを聞いた時でした。初めてこの言葉を聞いた時、私のからだ中に電流が走ったような、それまでの人生で一度も経験したことがなかった感動を覚え、いつしか私の眼にも涙が溢れていました。そして、この時の体験を通して、イエス様を信じて生涯歩んでいく決心が与えられ、次の年に8名の兄弟姉妹と共に、洗礼の恵みにあずかることができました。

 

 あれから50年、その後も沢山のバプテスマ式に参列させていただいてきました。そのたびに上記の御言葉にありますように、私自身もイエス様と共に葬られ、イエス様と共によみがえらされた神の力を信じる信仰によって、今も生かされていることを知らされています。

 

 次週のイースターに、ひとりの兄弟がバプテスマを受けて、信仰の仲間に加えられることに感謝し、イエス様の十字架の死に涙した感動と復活されたイエス様に対する感謝と喜びを持って、今回も新たな気持ちでイースターを迎えたいと思います。

この動画は、2017年4月16日のイースターの時に、北九州の企救エクレシアで説教したものです。来月4月4日はイースターです。コロナ禍の中にあって、私たちはもうひとたびイエス様の愛とゆるしによって生かされていることを知る時としましょう!!



「わたしは、すでに自分を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」          (テモテの第二の手紙3章6・7節)

 

「『走るべき行程を立派に走り抜き』キラキラ光る細い目と、頑健な浅黒く逞しい肉体、やさしく柔軟なたたずまいを、そして何よりも、小さなことに大きな愛を注いだ地上での誠実で美しい歩みでした」この文章は、故馬場哲雄兄弟の説教集「喜びが満ちあふれるために」(いのちのことば社)の出版に際して、「畏友 馬場哲雄くんのこと」と題して寄せられた、浪岡教会(青森県)牧師の石川敞一先生からのお言葉です。

 

 石川先生と馬場兄弟の関係は、上記のテモテへの手紙を書いたパウロとテモテのように信仰の先輩・後輩でありながら、また親しい友のようでもありました。それは、傍から見ていても麗しく、また羨ましくさえ思えたほどでした。先生は、神学校を出られてすぐに郷里の青森に帰られ、実家を開放して開拓伝道を始められましたので、東京での交わりは長くはなかったのですが、その後、個人的なことで大変お世話になり、今も親しくさせていただいています。

 

 先生のお人柄は、実にざっくばらんで親しみやすく、どんな人でも優しく包んでくださる包容力に満ちた方です。先生と一度お会いしたことがある方なら、誰もが私と同じ思いを持たれると思います。先生は、そのような親しみやすさの中に、御言葉の前には決して妥協を許さないという確固とした信仰を持っておられます。そして、その原動力が日々の祈りにあることを知らされています。

 

深沢教会の良き伝統となった早天祈祷会は、石川先生と馬場兄弟のお二人で始められました。お二人は、雨の日も風の日もどんなことがあっても早天祈祷会を守り続けてこられました。私はお二人のそのような姿から、御言葉と祈りの大切さを体に沁み込むほど深く教えられました。このことは、その後の私自身の信仰生活の大きな宝になりました。御言葉と祈りは信仰生活の生命線であり、お二人の共通したお人柄の原点もそこにあることを深く知らされています。

 

石川先生は、夜間の神学校に通いながら、昼間は障害者福祉施設で働いておられました。当時、学生であった私は、何度かその施設にお手伝いに行ったことがあります。ある日、先生から今度連休を利用して、施設の子が自分のアパートに泊まりに来るので手伝ってくれないかと頼まれたことがありました。「どんなお手伝いをすればいいですか」と尋ねたところ、「一緒に話をしたり、近くの公園に行って散歩をしたり、床ずれを防ぐために夜中に3時間おきに起きて寝返りを打たせて欲しい」ということでした。その方は、私と同じ位の年齢で幼少期に筋ジストロフィーを患い、ずっと車椅子の生活をされていました。夜中に3時間おきに起きて寝返りを打たせることには緊張感を覚えましたが、そのような方と寝食を共にすることは初めてでしたので、大変貴重な経験になりました。

 

寝食を共にする中、お互いの緊張もほぐれ、リラックスして話せるようになりましたので、「もし体が自由に動かせるようになったとしたら、何をしてみたいですか?」とその方に尋ねてみました。すると「今までテレビでしか観たことがないので、一度でいいから自分の足で旅行をして、実際に自分の眼でいろいろなところを観てみたい」という答えが返ってきました。私たちにとっては、いつでも実現できることであり、特別なことではないことも、その方にとっては一生涯の夢なのです。

 

この時の体験は、深く私の脳裏に焼きつきました。それは、このことを通して、どんな小さなことも決して当たり前にしてはいけないこと。当たり前のことが当たり前に出来ない人が、世の中にはたくさんおられることを知らされたからです。先生が手伝って欲しいと言われたのは、手が足りなくて大変だというのではなく、そのような方と寝食を共にすることを通して、何かを学んで欲しいという願いがあったことを後で知らされました。

 

先生は郷里に帰られてからも牧師職と共に多くの施設を援助され、また「あおもりいのちの電話」を設立され、長年にわたって理事長を務められ、人生において悩み苦しむ方々の心の友となって、75歳になられた今もお元気に活躍されています。

 

 今から50年ほど前の冬の寒い日の朝、当時30坪にも満たなかった深沢教会の小さな礼拝堂の片隅に設置されたストーブの前で、石川神学生と馬場兄弟が教会員一人一人の名前を挙げて、大きな声で祈っておられた姿が眼に浮かんできます。年若い時に、このような真摯で誠実な信仰に生きておられた先輩方と出会えたことに、改めて心からの感謝の思いが湧いてきました。

「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」        (ルカによる福音書16章10節)

「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか」  (ヨハネ第一の手紙3章18節)

 

前2回の恩師に関する記事では、教師を志すに至った時の出会いについて、次に教師として歩み始めた時の出会いについて書きました。今回は、50年に及ぶ信仰の歩みの上で、最も影響を受けた恩師との出会いについて書いてみたいと思います。

 

50年間の信仰生活を通して、尊敬すべき多くの信仰の先達と出会ってきました。そのような中で、何と言っても一番の恩師は、私を信仰の道に導いてくださった故馬場哲雄兄弟です。兄弟は65歳という、まだこれからという時に天に召されました。兄弟から一番の影響を受けた要因は、3回にわたって兄弟と同じアパートに住み、生活を通してその信仰を学んだことです。

 

イエス様の弟子たちが、イエス様と寝食をともにする中で、生きたお手本として、その信仰の在り方を学んできたように、私も兄弟と生活をともにする中で信仰の在り方を学んできました。どんなに素晴らしいことが語られたとしても、その生活の在り方が、言っていることと行っていることがまるで違っていては、何の影響も受けません。弟子たちがイエス様から大きな影響を受けたのと同じように、私が兄弟から影響を受けた要因もそこにありました。

 

次にご紹介する本の内容は、兄弟が生前説教されたものを集めて、「喜びが満ちあふれるために」(いのちのことば社)というタイトルで出版された本の中から一部引用したものです。「一年生を対象に軽井沢でセミナーが行われます。・・・私は三浦さんの自伝でもある『道ありき』を使用してセミナーを行っていました。三十人位の受講生がいました。全員が非常に感動して本を読みました。・・・そして皆でお礼の寄せ書きを三浦さんに書きました。一週間も経たないうちに、小包が来ました。何と三浦綾子さんからでした。『先生の主にある尊いお働きを感謝します。これからも良き働きがありますように祈ります。学生さんお一人お一人のためには文が書けませんので、せめて心を込めてサインしますので学生さんにどうぞお渡し下さい』とあり、三十冊ばかりの本にサインがしてありました。体が弱く、またお忙しいのに、何と誠実な方であろうと感銘を受けると同時に、三浦さんが小説を通してイエス様を証しされているように、私は教育を通してイエス様を証ししようと思ったものでした」(P92~93)

 

 上記の文章の内容は、作家三浦綾子さんのお人柄を偲ばせるものですが、これはまた馬場兄弟の人柄そのものでもありました。兄弟との長い親交を通して、知らされてきた第一のことは、兄弟の誠実さでした。どんなことでも約束されたことは、全力で果たされる方でした。「なになにのために祈っていますよ」と言われた時は、口先だけのリップサービスではなく、本当に朝早く起きて祈っておられる姿を、傍にいて何度も見てきました。そして、そのことを決して誇ろうとはされませんでした。ただ、だまって黙々と実行される方でした。そこに兄弟の大きな魅力があり、主がいつもその姿を見ておられ、兄弟を主のご用のために用いてこられたのだと思います。

 

 兄弟は5年間にわたって、大学教授という要職に在りながら、北九州にある企救エクレシアという伝道所に、週末に飛行機で往復して、毎週説教と教会形成のご用をされました。このようなことは、誠実な人柄と主にある愛がなければ決して成し得ないことだと思います。兄弟はこの困難なご用を、ひと言の弱音も吐かず、また愚痴をこぼすこともなく淡々と果たされました。

 

 ある時、企救エクレシアの方が兄弟のことを、ひとつのエピソードを交えて、次のように語ってくださったことがありました。「ある日、私が体の具合が悪いということを聞いて、馬場先生がすぐに祈りに来てくださいました。伝道所から14・5キロほどの距離もあり、交通も不便なところに住んでいましたので、 今日はどうやって来られたのですか?と尋ねたところ、何と平然とした顔をして『はい、歩いてきました』と答えられました。自分のところに来るまでには、暗い山道を越えて来なければならないのに、歩いて来られたことを聞いて、本当に頭が下がる思いで、その誠実さに心を打たれました」と。(このようなことが、その後も数回続いたそうです)

 

 先月、企救エクレシアでは召天者メモリアル礼拝がささげられたということです。その場で出席者全員の方が、異口同音に馬場兄弟にお世話になったことの感謝を話されていたということです。兄弟が天に召されて7年になりますが、多くの方が今も兄弟のことを深く心の中に刻み、感謝の思いを持ち続けておられることに改めて兄弟に対する尊敬の念を抱くとともに深い感動を覚えました

この動画は、2018年6月24日(主)企救エクレシアで説教したものです。
イエス様は、私たちをしもべとされたのではなく、信仰の友としてくださり、ともにに食卓を囲んでくださいました。どんなに苦しい状況の中にあっても、イエス様は私たちと共にいてくださり、私たちを助け励まし、具体的に解決を与えてくだるお方なのです。

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