「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」
(ローマ人への手紙12:15)
「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである」(ヨハネの第一の手紙4:12)
私たちの教会では、長年にわたって青年の兄姉を中心に月に一度、賛美集会をもっています。今週の日曜日にもその集会が行われましたが、今回は特別な時となりました。それは、今まで長い間、賛美集会をリードしてくださった、ひとりの姉妹の最後の奉仕の場となったからです。姉妹は、結婚のためにこれまで生まれ育ってきた深沢教会を離れることになり、今回が最後の賛美リードをする機会となりました。このことは、小さい時から姉妹を知っている私たちにとっても、特別な時となりました。
私は賛美集会が終わりに近づき、姉妹が最後にどのような曲を選曲し賛美するのか大きな関心を抱いていました。なぜなら、最後に選んだ曲に姉妹の思いが詰まっていると思ったからです。そして、選ばれた曲が本日のブログのテーマに掲げました「神の家族」という曲でした。
ともにほほえみ 兄弟と呼ぶ
手を取って祈り 主イエスを喜ぶ
主の愛が結ぶ 神の家族
ひとつとなる人びとを 主は祝福される
喜びと平安で満たしてくださる
暗い谷行き 山に登り
試練の時も 重荷を分け合う
主の愛が結ぶ 神の家族
ひとつとなる人びとを 主は祝福される
喜びと平安で満たしてくださる
姉妹が最後にこの曲を選び賛美された時は、涙でいっぱいになり声にならない程で、一緒に賛美している私たちももらい泣きしてしまいました。そして姉妹の溢れる涙の中に、この曲に対する深い思いがあることを知らされたようで、私の中に心から主に対する感謝と感動が湧いてきました。それは、私自身50年の教会生活を通して、「教会は神の家族」ということを実際の生活を通して、実感し知らされてきたからです。
曲の中にありますように、教会には、どんな時も手を取って祈り合える友がいます。どんな試練の中にあっても、その重荷を分かち合える仲間がいます。それは、この世の損得勘定で結ばれた関係ではなく、損得抜きの主の愛によって結ばれた麗しい関係だからです。そして、主はそのような人々を祝福してくださり、喜びと平安で満たしてくださると約束しておられるのです。
私の祈りと願いは、深沢教会での教会生活を通しで与えられたこの恵みを、あとに続く、多くの愛する兄姉に伝えていきたいということでした。賛美集会で姉妹が選ばれた曲を通して、姉妹がその思いを、しっかりと受け取ってくれていたことに深い感謝と感動を覚えました。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」とは、何と麗しい関係でしょうか。
しかし、自分のことしか考えられない私たちにとって、このことを実践することは至難の業です。十字架と復活というその全生涯を通して、このことを実践されたイエス様によってしか、このことを表すことは出来ないのではないでしょうか。私たちは、そのようなイエス様の愛にしっかりと結ばれて、はじめて共に喜び共に泣くことが出来る「神の家族」とされていくことを知らされます。
今回の賛美集会において、もうひとたび「神の家族」の素晴らしさを思い起こさせてくれた姉妹に感謝するとともに、新しい地における姉妹の歩みが、より一層、主に祝福された歩みとなるよう祈り続けていきたいと思いました。