アドナイ・エレ

「アドナイ・エレ」(主の山に備えあり) 創世記22章14節 この言葉は、アブラハムがその子イサクを神の言に従って、モリヤの山に行きささげようとした時に、み使いが現れてイサクの代わりに一頭の雄羊が備えられていることを告げられ、それを燔祭としてささげた所の名として付けられたものです。 65歳で突然天に召された敬愛してやまない故馬場哲雄兄が、この言葉にメロデーを付けられた賛美が「アドナイ・エレ」という曲です。「主にすべてささげて歩む、主にすべてをゆだねて歩む、そのときすべてが備えられる。アドナイ・エレ、アドナイ・エレ」という賛美です。 わたしは、いつもこの賛美を主にささげ、「アドナイ・エレ」の信仰をもって歩み続けていきたいと祈り願っています。

「しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは夜にも暗闇にも属していません」       (テサロニケの信徒への手紙(Ⅰ)5章4・5節)

 

11月13日(日)北九州にある企救エクレシア20周年記念礼拝で御言葉を取りつぐことために、3年ぶりに企救エクレシアを訪れました。前日の12日(土)から北九州に行き、企救エクレシアの会堂の椅子に座って黙想していますと、3年前のことが走馬灯のように甦り、「アッ」という間に空白の時が埋まり、3年前のことが昨日のように思い出されてきました。

 

企救エクレシアは20年前に深沢教会の枝教会として建てられました。この間さまざまなことがあり、現在は深沢教会の支援を受けながら単立教会として働きを続けています。この教会の礎を築いたのは故B兄弟でした。今も毎週の礼拝の中でこの兄弟が作詞・作曲した「アドナイ・エレ」(主の山に備えあり)という賛美が歌われていますが、この教会に遺した兄弟の足跡は多大なものがありました。

 

「主にすべてをささげて歩む。主にすべてを委ねて歩む。その時、すべてが備えられる」このアドナイ・エレの曲の短い歌詞の中に兄弟のすべての歩みが凝縮されているように思います。この歌詞に表わされていますように、兄弟の歩みは、まさに有言実行の歩みでした。信仰者にとって有言とは、自分の思いや考えではなく聖書の言葉を指します。兄弟の歩みは、徹底して聖書の言葉に聴き従って、それを実行していくという信仰者としての生き方でした。

 

神のひとり子であるイエス様もまた徹底して父なる神様の言葉に聴き従って歩まれた生涯でした。その最後が「十字架への歩み」でした。それは過酷を極めるものでした。イエス様ご自身、ゲッセマネの園で「『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください』・・イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(ルカ22:42~44)と記されています。そこには、命を懸けて徹底して私達ひとりひとりを愛し、愛し抜くというイエス様の姿がありました。

 

すぐに自己正当化したり責任転嫁してしまうような私達は、どうすればそのような生き方に変えられるのでしょうか。そのことについて本日の聖書の箇所に次のように記されています。「しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。・・あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは夜にも暗闇にも属していません。・・わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」(5:4~8)と。

 

私達がなすべきことは暗闇の世界に属する関係を断ち切り「光の子、昼の子」とされたことに感謝して、その道を歩み続けることです。暗闇とはまさに闇の世界、暗黒の世界です。そこには夢も希望もありません。あるのは絶望と諦めであり、永遠の死に至らせる世界です。しかしイエス様の救いにあずかった私達は「光の子、昼の子」とされ、夢と希望に満ちた世界に属する者とされたのです。そこは希望の光に照らされ、喜びと感謝に満ちており、永遠のいのちに至る世界なのです。

 

また上記の御言葉に記されていますように、救いの希望の兜をかぶったということは、どんな暗闇をも照らす「光の子、昼の子」となったということを表しています。弱くてもろくて、すぐに思い煩ってしまう私達が、自分の力ではどうすることも出来ない私達が、イエス様の十字架の愛によって「光の子、昼の子」とされたのです。私達はいつも信仰と愛を胸当てとして着け、救いの兜をしっかりとかぶることによって、イエス様の愛の中に生きる者、生き続けることが出来る者に変えられたのです。もはや暗闇の中に引きずり込まれることはなくなりました。何と感謝なことでしょうか。

 

今、私達が置かれています状況はコロナや戦争の問題など、さまざまな暗いニュースで溢れています。まるで暗闇の世界に置かれているようです。しかし、私達はイエス様の十字架によって暗闇の世界から解放され、「光の子、昼の子」とされました。夢と希望に満ちた世界に属する者とされたのです。このことの上にしっかりと立って、「アドナイ・エレ」(主の山に備えあり)の信仰を固くこの手に握って、襲いくる荒波を乗り越え、再び私達を引きずり込もうとする暗闇に打ち勝ち、「光の子、昼の子」として力強く歩んでまいりましょう。必ず主の祝福があることを信じます。

「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来てくださった』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである」        (テモテへの第1の手紙1章15節)

「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と」                                                                               (ルカによる福音書18章13節)

 

最近、コロナの感染者は大分減ってきましたが、死亡者の数は増加の傾向にあります。今から一年前、実の弟のように接してきたひとりの兄弟が、コロナに感染して入院し、わずか10日余りで天に召されました。「アッ」という間の出来事で、喪失感で心にポッカリと穴が空いたような状態が続きました。

 

兄弟は55歳という若さで天に召されました。8年前に洗礼を受け、イエス様から多くの恵みをいただいて歩んできましたが、イエス様と出会うまでの兄弟の人生は、患難辛苦を味わい、まさに波乱万丈の人生でした。そのような兄弟の口ぐせは「罪人のかしらのようなわたしがイエス様によって救われ、こうしてクリスチャンになることができたこと自体、奇跡以外の何ものでもありません」ということでした。

 

上記のルカによる福音書の18章9節から14節には、ふたりの人物のことが書かれています。ひとりはパリサイ人です。パウロも自らのことを「律法の上では、パリサイ人」(ピリピ3:5)と言っていますように、当時の指導者層の中でもエリート中のエリートと言える存在でした。

 

もうひとりは取税人です。同じルカによる福音書の19章に取税人のかしらであるザアカイのことが書かれていますが、イエス様がザアカイの家に泊まられることになった時、「彼は罪人の家にはいって客となった」(ルカ19:7)とまで言われるほど周りの人々から嫌われていた存在でした。

 

同じ神殿で祈ったこのふたりの祈りは、まことに対照的でした。パリサイ人は神殿の中央に立って、堂々と胸を張って自分が行ってきたことを、ひとつひとつ並び立てて誇らしげに祈りました。一方、取税人は、神殿の隅っこに立って、目を天にあげようともせず、胸を打ちながらただひとことだけ、「神様、罪人のわたしをおゆるしください」(18:13)と祈りました。

 

この対照的なふたりの姿を見て、イエス様は次のように言われました。「言っておくが、神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(18:14)と。

 

イエス様は、ご自分がこの世に来られた目的を「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9:13)と言われました。またヤコブの手紙4章6節には「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」と記されています。イエス様は罪人を招くためにこの世においでになり、神様は高ぶる者をしりぞけられ、へりくだる者に恵みをお与えになると言われています。

 

パリサイ人として、自らの行いを誇り、自らを義人と称してきたパウロは、イエス様と出会って大きく変えられ、自分のことを「罪人のかしら」(Ⅰテモテ1:15)だと言い、「誇る者は主を誇れ」(Ⅰコリント1:31)と告白するに至りました。

 

パウロをここまで変えた力は、何処にあったのでしょうか?パウロはそのことを次のように言っています「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救いあずかるわたしたちには、神の力である」(Ⅰコリント1:18)と。

 

どんな人であっても、イエス様の十字架の前に立つ時、あの取税人のように、「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と祈るしかないのではないでしょうか。自分のことをおごり高ぶるのではなく、神様の前にいつもへりくだって、「わたしこそ罪人のかしらです」と日々告白して、謙遜に歩んで行きたいと祈り願っています。

「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』」

(ルカによる福音書24章32節)

 

今年も主イエス様が復活された「イースター」の時を迎えます。この言葉は日本人にはあまり馴染みがありませんが、世界の多くの国々ではクリスマスに次いで盛大にお祝いされる行事です。

 

今、私たちが置かれています状況は、長期にわたるコロナ禍の問題、ロシアとウクライナの戦争の問題など決して平安な日常とは言えません。先が見えない暗闇の中に置かれているようです。

 

イエス様が復活された時も、このような状況に置かれていた人たちがいました。上記の御言葉に記されています「彼ら」とはイエス様の2人の弟子を指しています。彼らはイエス様の弟子として行動をともにすることによって、イエス様が語られる素晴らしい教えや死人をも生き返らせるという奇跡を眼のあたりにしてきました。その方が2人の極悪人とともに十字架にかけられて死んでしまわれたのです。

 

彼らの落胆ぶりはいかばかりだったことでしょう。自分たちの人生をかけて信じ従ってきたお方が眼の前から消えてしまったのです。先が見えない暗闇の中に突き落とされたような思いになったことでしょう。2人はイエス様との行動の場であったエルサレムにいる意味を失い、自分たちの故郷であるエマオという村に向かって、夕闇迫る暗い小道を2人でトボトボと歩き出しました。

 

するとその時、復活されたイエス様が2人に近づいてこられ、一緒に歩き出されたのです。イエス様の愛は、私たちの思いを知ってイエス様の方から近づいてきてくださるということです。彼らの思いを知られたイエス様は、聖書全体からひとつひとつ丁寧に十字架と復活について解き明かされていきました。

 

しかし絶望の中にいた2人の心は固く閉ざされていて聞く耳を持っておらず、その方がイエス様だとは分かりませんでした。それでもイエス様は彼らと行動をともにされ、招きに応じて家に入って食事をともにされました。2人はイエス様と食事をともにすることによって、やっとその方が復活されたイエス様であることが分かりました。

 

彼らはその時、その方がかつて行動をともにしていたイエス様であることがはっきりと分かったのです。その途端にイエス様の姿は見えなくなりましたが、彼らは互に「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」と語り合いました。

 

 復活されたイエス様と出会った彼らには、もうかつてのような絶望的な姿はありませんでした。心が燃えるような感動を味わったのです。それは彼らの人生の中で一度も体験したことがなかったような感動でした。そのことが上記の御言葉に表われています。

 

キリスト者にとっての一番の喜びは何でしょうか。それは、どんなに辛く苦しいことがあっても、イエス様が今も私とともに生きてくださっているということではないでしょうか。このことを体験した2人は、すぐにエマオを発って再びイエス様との行動の場であったエルサレムに向かいました。

 

復活されたイエス様が彼らとともに歩いてくださらなかったとしたら、その人生は暗闇のままだったでしょう。私たちの人生もイエス様が復活してくださらなかったら、永遠の死という恐怖の中に閉じ込められ、絶望の人生を歩むことになったでしょう。しかし、イエス様が「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ11:25)と力強く宣言してくださり、そのお言葉通り十字架にかかって死んで、3日目によみがえってくださいました。

 

 イースターは単なる行事ではなく、復活されたイエス様とともに歩き出す時です。どんなに困難な状況の中にあっても、イエス様は私たちとともに生きてくださり、私たちを助け励まし救ってくださるお方なのです。      

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