「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである」
(コリント人への第一の手紙9章24・25節)
今週の日曜日(4月4日)に2つの出来事から大きな感動をいただきました。ひとつは、深沢教会で行われたバプテスマ式でのことです。今回、ひとりの兄弟がバプテスマの恵みにあずかられましたが、その時、兄弟が話された信仰告白に感動しました。兄弟はかつてラグビーの選手として活躍され、現在はスポーツジムで働いておられる方です。その兄弟が信仰告白の中で次のように話されました。「自分は選手生命にかかわるような大怪我をし、それを乗り越えてレギュラーを勝ち取り、選手として活躍してきましたが、引退後ずっと虚無感を持ちながら生活してきました」と。
このお証を聴いていて、私自身がイエス様と出会った時のことを思い出しました。詳細については、ブログ「朽ちない冠」(その1)に書いていますように、私も一競技者として競技を続ける中で、ずっと自分ではどうしようもないような深い空虚感を味わったことがありました。そのことが長い間、私の中に残り解決されないままになっていました。しかし、教会に集い、聖書を読むようになってイエス様と出会い、自分の力ではどうしても解決できなかった空虚感から解放されました。それは理屈ではなく、バプテスマ(洗礼)という新生の体験を通して与えられたものでした。
バプテスマとは、「イエス様と共に葬られ、イエス様と共によみがえること」(コロサイ2:12)と御言葉に記されていますように、それは単なる儀式ではなく、イエス様と共に古い自分に死んで、イエス様と共に新しい自分に生きていくスタートの時です。今回、バプテスマの恵みにあずかって、バプテスマ槽から出てこられた兄弟のすがすがしい表情を見ていて、兄弟も私が体験した時と同じように、虚無感から解放されたことを確信させられました。ひとりの兄弟のバプテスマを通して、改めてイエス様と共に新しい自分に生きることの素晴らしさを知らされ、幸せなひと時となりました。
もうひとつの感動は、前述のブログ「朽ちない冠」(その1)の中に書きました、ひとりの女子アスリートの姿を通してでした。このブログは、昨年の2月27日に書いたものですが、そこにはその選手のことを次のように書いています。「東京オリンピックで金メダルの有力候補として期待されていた女子選手が突然の病魔に襲われ、その夢を断たれた。この選手がテレビのインタビューに答えて次のように話した。『私は、このことを通して、命があること、生きていること自体が奇跡だと思いました。私がここまで回復して、次のオリンピックを目指している姿を見て、今、同じように病魔と闘い苦しんでいる人達に、少しでも、勇気と希望が与えられたらと思っています』と。なんと真摯で実直で誠実な応答だろうと胸が熱くなった」と。
その選手が、なんと先日の4月4日の東京オリンピック選考会のレースで優勝を果たしたのです。病気が病気であっただけに、今回のオリンピックに出場することは、不可能だろうと言われていたにも関わらず、出場が可能になったのです。どのメディアも、このレースのことをまさに神がかり的なレースだったと伝えていました。レースのあと、この選手は次のようにインタビューに答えていました。「まさか私が優勝できるとは思ってもみませんでした。自分でも信じられません。ここまで来れたのは、多くの方々の支えがあったからです。『努力は必ず報われる』ということを改めて知らされました」と涙ながらに語っていました。
私は、その選手の語った言葉に深い感動を覚えました。この選手が突然の病魔に襲われ、先が見えない状態に置かれた時に「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(Ⅰコリント10:13)という聖書の言葉から自分の現在の心境を語っていた時のことを思い出しました。真実なる神様は、いつも私たちの姿を見ておられるのです。その選手が語った「努力は必ず報われます」という言葉の重さに改めて深い感動を覚えました。
「すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする」と上記の御言葉にありますように、競技者にとって大切なことは、日々の努力です。その選手が示してくれたように、その努力は並大抵ものではなく、想像を絶するほどのものです。私たち信仰者も日々節制をします。真実なる神様は、いつもその姿を見ていてくださり、私たちの上に「死に至るまで忠実であれ、そうすれば、いのちの冠を与えよう」(ヨハネ黙示録2:10)との御言葉を成就してくださるのです。