アドナイ・エレ

「アドナイ・エレ」(主の山に備えあり) 創世記22章14節 この言葉は、アブラハムがその子イサクを神の言に従って、モリヤの山に行きささげようとした時に、み使いが現れてイサクの代わりに一頭の雄羊が備えられていることを告げられ、それを燔祭としてささげた所の名として付けられたものです。 65歳で突然天に召された敬愛してやまない故馬場哲雄兄が、この言葉にメロデーを付けられた賛美が「アドナイ・エレ」という曲です。「主にすべてささげて歩む、主にすべてをゆだねて歩む、そのときすべてが備えられる。アドナイ・エレ、アドナイ・エレ」という賛美です。 わたしは、いつもこの賛美を主にささげ、「アドナイ・エレ」の信仰をもって歩み続けていきたいと祈り願っています。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」
                (ローマ人への手紙12:15)

 「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである」(ヨハネの第一の手紙4:12)

 

私たちの教会では、長年にわたって青年の兄姉を中心に月に一度、賛美集会をもっています。今週の日曜日にもその集会が行われましたが、今回は特別な時となりました。それは、今まで長い間、賛美集会をリードしてくださった、ひとりの姉妹の最後の奉仕の場となったからです。姉妹は、結婚のためにこれまで生まれ育ってきた深沢教会を離れることになり、今回が最後の賛美リードをする機会となりました。このことは、小さい時から姉妹を知っている私たちにとっても、特別な時となりました。

 

私は賛美集会が終わりに近づき、姉妹が最後にどのような曲を選曲し賛美するのか大きな関心を抱いていました。なぜなら、最後に選んだ曲に姉妹の思いが詰まっていると思ったからです。そして、選ばれた曲が本日のブログのテーマに掲げました「神の家族」という曲でした。

 

ともにほほえみ 兄弟と呼ぶ

手を取って祈り 主イエスを喜ぶ

主の愛が結ぶ 神の家族

ひとつとなる人びとを 主は祝福される

喜びと平安で満たしてくださる

 

暗い谷行き 山に登り

試練の時も 重荷を分け合う

主の愛が結ぶ 神の家族

ひとつとなる人びとを 主は祝福される

喜びと平安で満たしてくださる

 

姉妹が最後にこの曲を選び賛美された時は、涙でいっぱいになり声にならない程で、一緒に賛美している私たちももらい泣きしてしまいました。そして姉妹の溢れる涙の中に、この曲に対する深い思いがあることを知らされたようで、私の中に心から主に対する感謝と感動が湧いてきました。それは、私自身50年の教会生活を通して、「教会は神の家族」ということを実際の生活を通して、実感し知らされてきたからです。

 

曲の中にありますように、教会には、どんな時も手を取って祈り合える友がいます。どんな試練の中にあっても、その重荷を分かち合える仲間がいます。それは、この世の損得勘定で結ばれた関係ではなく、損得抜きの主の愛によって結ばれた麗しい関係だからです。そして、主はそのような人々を祝福してくださり、喜びと平安で満たしてくださると約束しておられるのです。

 

私の祈りと願いは、深沢教会での教会生活を通しで与えられたこの恵みを、あとに続く、多くの愛する兄姉に伝えていきたいということでした。賛美集会で姉妹が選ばれた曲を通して、姉妹がその思いを、しっかりと受け取ってくれていたことに深い感謝と感動を覚えました。

 

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」とは、何と麗しい関係でしょうか。

しかし、自分のことしか考えられない私たちにとって、このことを実践することは至難の業です。十字架と復活というその全生涯を通して、このことを実践されたイエス様によってしか、このことを表すことは出来ないのではないでしょうか。私たちは、そのようなイエス様の愛にしっかりと結ばれて、はじめて共に喜び共に泣くことが出来る「神の家族」とされていくことを知らされます。

 

 今回の賛美集会において、もうひとたび「神の家族」の素晴らしさを思い起こさせてくれた姉妹に感謝するとともに、新しい地における姉妹の歩みが、より一層、主に祝福された歩みとなるよう祈り続けていきたいと思いました。

 

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。」

(マタイによる福音書6章26節)

 

前回、前々回のブログに書きました「ロシアの旅」とほぼ同じ頃、私が所属しています教会の20名程のメンバーとともにイスラエルの旅に出かけました。イスラエルは3つの宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)の聖地であり、多くの信仰者が聖地旅行として訪れるところであり、信仰者であれば誰もが一度は行ってみたいと思っている憧れの場所でもあります。しかし、日本から行くとなるとはるか遠く、かなりの日数と費用がかかり、それらに加えて政情不安なために、二の足を踏むことが多いのも現実です。

 

このような状況の中、私たちの教会がイスラエルの旅に出かけるきっかけとなったのは、イスラエルに移住し、そこで日本人ガイドとして活躍されていた通称「バラさん」と呼ばれていた方との出会いでした。日本の神学校を卒業され、牧師としての資格を持ち、イスラエルのヘブライ大学でも学ばれ、イスラエルの歴史と文化に対する造詣も深く、ヘブライ語も堪能という方でした。また、それらの経歴に加え、私たちが何よりも惹かれたのは、その明るく開放的な性格とユーモアに溢れた話しぶりでした。一度お会いしたら忘れられなくなる人というのは、このような人物なのだと思わされるような魅力的な方でした。

 

私たちは、その方との出会いとお勧めもあって、イスラエルの旅に出ることを決め、具体的に計画を立て費用の積み立てを行い、実行へと移していきました。当時はまださまざまな国際問題の関係で、航空路も遠回りをしなければならず、日本を出発して、アラスカのアンカレッジに立ち寄り、オランダを経由してギリシャに入り、ギリシャからイスラエルに入るという旅程でした。しかし、その旅程のおかげで、時間調整のためオランダでは、半日観光をすることが出来、オランダの運河や木靴工場の見学等、思いがけず楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

 

またギリシャでは、一泊して有名なパルテノン神殿の見学やバスで移動してコリントの遺跡等を訪ねました。その中でもペロポネソス半島の付け根にあるコリントス運河の絶景を見た時の感動は、今でも忘れることが出来ません。地上から海面まで80メートルもある切り立った絶壁の間を、船が小さく見えながら通過して行く光景には、圧倒されるものがありました。この運河の工事が、古代ローマ時代に始まったことを知らされ、歴史の持つ重さを感じずにはおれませんでした。ギリシャでの滞在は、古代の歴史そのものを知るうえで貴重な体験となりました。「百聞は一見に如かず」とはまさにこのようなことを言うのだなと思いました。(話は少し横道にそれますが、ギリシャは風光明媚な観光地で食事も美味しく、ギリシャ語で食堂のことを「タベルナ」と言いますが、ギリシャで食べた料理は、この旅の中で、いずれも最も「タベナイ」ではいられない程の美味しさでした。〈笑〉)

 

短い滞在でしたが、思い出深いギリシャを後にして、ギリシャからオリンピック航空の飛行機に乗って、目的地であるイスラエルのテルアビブ空港に降り立ちました。政情不安の中にありましたので、手荷物検査にかなり時間がかかったことが思い浮かんできます。現地でガイドのバラさんが私たちを出迎えてくださり、いよいよ聖地イスラエルの旅がスタートしました。

 

全行程バラさんがガイドを務めてくださり、テルアビブで1泊、エルサレムで2泊、ガリラヤ湖畔で1泊、死海のほとりで1泊と、それぞれのホテルに宿泊して、聖書に記されている一つひとつの記事に関するところを、バラさん独特のユーモアを交えて楽しくかつ詳しく説明し、丁寧にそれぞれの場所を案内してくださいました。エルサレムでは、黄金のドーム、嘆きの壁、聖墳墓教会、昇天教会、ゲッセマネの園、ビアドロローサ(十字架の道)等を巡り歩き、ガリラヤ湖では、イエス様も歩かれたであろうガリラヤ湖畔を皆で歩き、山上の垂訓教会、聖ペテロの岩の教会等を巡り歩き、死海では実際に水に浮く不思議な体験をし、毎日が「アッ」と言う間に過ぎて行きました。

 

これらの聖地巡りを通して得られたことは、聖書を立体的にとらえられるようになったことでした。聖書のどの箇所を読んでも、聖地を実際に巡り歩いたことにより、その情景が目に浮かび、聖書の記事がより身近なものとして受け取れるようになりました。上記の聖書の箇所も、そこには山上の垂訓教会が建てられており、ガリラヤ湖が遠くに見える小高い丘の上にイエス様がお立ちになり、その澄み渡った空を飛ぶ鳥を指さして、「あの空の鳥を見るがよい」と言われた情景が実際に眼に浮かんでくるように、聖書の一つひとつの箇所がより身近に感じられるようになりました。

 

30年前のこの貴重な体験は、日々聖書の御言葉をいただくうえで、私の信仰生活の大きな助けになっています。

「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである。」

(マタイによる福音書20章26~28節)

 

ロシア宣教の旅では、ふたつの貴重な体験をさせていただきました。ひとつは、前回のブログの最後に書きましたように、国家、民族、習慣、言葉等の壁を越えて、「すべてのものの父なる神は一つである」(エペソ4:6)という御言葉をロシアの人達と分かち合うことが出来たことでした。もうひとつは、2週間寝食をともにして、主にある交わりの時を持った韓国のクリスチャンの方々の信仰に学ばされたことです。

 

それまで韓国には何度か出かけ、いくつかの教会を訪問して、多くのことを学んできました。しかし、今回は今までのような座学での学びではなく、2週間韓国のクリスチャンの方々と寝食をともにし、生活を通して実際にその信仰に触れるという実践的な学びの機会が与えられたことでした。

 

私たちの教会では、韓国の教会と交流を持つようになった時から、韓国語の勉強をするために、実際に韓国の方を教会に講師としてお招きし、韓国語を学んできましたが、ロシアの旅に出かけた頃は、まだ片言の韓国語しか話すことは出来ない状態でした。しかし、その分、日々互いに祈り合い賛美し生活をともにする中で、ストレートにその信仰を学ぶことが出来たことは大きな恵みでした。

 

2週間という期間を通して、私自身が最も学ばされたことは、上記の御言葉に記されていますように「信仰者としての仕える姿勢」という点でした。私自身、それまでの歩みを通して仕えるということに関しては、自分の中ではそれなりに実践してきたつもりでいました。しかし、韓国のクリスチャンの方々と寝食をともにして,宣教活動に携わる中、私がそれまで行ってきたレベルとは、格段に違うことを知らされました。

 

彼らは、私たちと寝食をともにする中、すべてにおいて、私たちのことを優先して考えてくれて、食事の用意や寝具の準備など私たちが長旅で疲れないよう細心の注意を払ってくれました。彼らも私たちと同じように、「お腹が空いているだろうに、疲れて早く休みたいだろうに」とそのつど思いましたが、彼らは終始その姿勢を崩しませんでした。彼らがそれらのことを特別なこととして行っているのではなく、実に当たり前のように行っている姿に驚きと感動を覚えました。実際に行動をともにしてみて、「仕える」というイエス様の教えが、彼らの中に自ずと身に付いていることを深く知らされました。

 

その中でもひとつの出来事が今でも印象深く思い出されます。それは、シベリヤ鉄道に乗ってモスクワからサンクトペテルブルクに移動する時のことでした。8月といっても、ロシアの朝夕は寒さがかなり厳しく、厚着をしていないと寒さで体調を崩してしまうという状況でした。そのような中、夕方モスクワを出発して列車内で一泊し、朝方サンクトペテルブルクに到着するという行程で列車に乗り込みました。経費節約のため、列車は3等車で設備も十分ではなく、暖房もあまり効いていないという状態でした。

 

そんな中、韓国のリーダーの何人かの方が、私たち日本人のために自分たちが使う毛布を持ってきて、片言の日本語で「私たちは大丈夫ですので、どうぞ使ってください」と言って、私たちが寝ている上にそっと優しくその毛布をかけてくださいました。その何気ない仕草の中に、「仕える」ということの本当の姿を見せられたようで、そのことが深く頭の中に刻み込まれました。

 

韓国のクリスチャンの方々とともに過ごした30年前のこの体験は、今も信仰生活を送っていく中で、仕えるということは、具体的にこのようなことなのだということを知らされる大切な学びの機会となりました。

 

30年経って、私自身がどこまであの時の韓国のクリスチャンの方々のような信仰の姿勢に近づけたかは分かりませんが、上記の御言葉に「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり」(20:28)と記されていますように、これからもひとりの信仰者として、私たちに仕えるためにおいでくださったイエス様に倣って歩んで行けたらと祈り願っています。

↑このページのトップヘ